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巻き込まれたはなし(前編)

18歳 1995年3月20日 春。

東京上京を明日に控えた僕を親友たちは皆で
祝ってくた。朝まで飲んだ。

当時、駅付近で一人暮らしをしている“カイヅ氏”という
ヤスヒロ氏つながりの友人がいて、長期休みにもなると
その彼が実家に帰省するため、そのアパートの部屋は
僕らのたまり場となっていた。
僕らにとってその“カイヅ邸”という名のアパートは
今でも想い出の場所だ。

その時期もカイヅ氏は春休みだったので、
僕が新幹線に乗る時間までの間、
送別会後、みんなで“カイヅ邸”で雑魚寝しようという事になった。

昼くらいだったろうか。
僕と一緒にいたタケヒロ氏は早く目を覚ました。
いざこれから東京へ向かう僕に色々な激励をしてくれた。
嬉しかった。次第にヤスヒロ氏や寝ていた皆が起きだした。
皆も同様に激励の言葉をもらい、徐々に寂しさが募ってきた。

タケヒロ氏が言った。
俺らは天気予報を見るときは自然に新潟に目がいくけど。
これからはお前は東京なんだなと。

東京の天気を見ようと皆でテレビをつけた。

最悪な光景が目に飛び込んできた。

あの世紀の大事件。有名な地下鉄サリン事件だ。


正直何が起きているのかわからなかった。
ただ東京行きのチケットを握りしめて
カイヅ邸で唖然としながら佇む僕と
恐怖で引きつった顔の仲間たちがいた。

なんだかすごい事になってるいや。東京・・・。


その日、みんなに励まされなんとか落ち着きを取り戻した僕は
その日の夕方上京した。みんなに見送られながら。

ワイドショーなど世間はしばらく
その話題で当然もちきりだった。


慣れない横浜での一人暮らし。
学校の入学式も終え、徐々に新しい仲間も増えてきた。
あの事件以来、主要駅の警備が激しく、
とてつもなく物騒で、都会が本当に怖かった。



世間を激震させたあの事件から約一ヶ月。

1995年4月19日。
その日は授業が昼に終わり、
新しくできた友達たちと横浜駅前で別た。
その日の朝にアパートに親からの一通の不在届けが入っていたので
僕は横浜駅の中央地下道を通り抜けた郵便局へ行く事になっていた。

郵便局で僕は事を済まし、
また横浜駅の中央地下道に引き返している途中の事だった。

通り過ぎて行く人達が皆、一斉に咳をし始めた。
(今日はなんだか風邪をひいている人が多いな〜)
と思った瞬間・・・・

僕にも目と鼻に激痛が走り、涙が出て
嗚咽にも似たようなとてつもない咳が出始めた。

地下中央付近に行けば行く程その匂いは強烈になっていく。

その時だ・・・。
ひとりのおばちゃんが僕の隣で涙ながらに大声で叫んだ。

『サリンよ〜!!!! 大変だわ〜!!!』


おいおいおいおい・・・マジかよコラァ!!!!

地下にいた人達は悲鳴と共に一斉に逃げだした!
僕は一瞬にして血の気がひいた。
瞬く間にガランとなった地下通路に
ガスマスクをした人達が大勢入ってきて
横浜駅の地下は騒然となった。

しかし、上京したての僕は、広い迷路のような横浜駅に
四苦八苦し、その現場に取り残されたままだった。

刺激臭で目と鼻をやられ、前が見えず、
涙がとまらない僕は、駅構内の柱と柱の間、
約1メートルのスペースでただうずくまっていた・・・。

at 14:46, 上除マナヴ, トレンディー時代のはなし

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巻き込まれたはなし(後編)

外は上空にヘリコプター、何台もの救急車とパトカーで
横浜駅は恐怖と混乱で騒然としていて
現場はガスマスクをした人達が大声で避難を訴えていた。

僕は涙で前が見えずに柱の間にうずくまったまま
その光景に怯えていた。
次第に大勢の野次馬やTVのリポーター達が集まって来る。

「現場どういう状況だったのですか?」
リポーターが僕の目の前の学生達や主婦に声をかけた。
聞くと事件発生時の被害者はみんな外に逃げてその場に居なくて
詳しい情報がないらしい。
リポーターやカメラマンたちは僕の目の前の人達
片っ端から状況を聞きまくっている。

後ろにうずくまっている僕は被害者ですよー・・・
涙流して、こんな事になってますよー・・と思っていたけど
上京して一ヶ月後、こんな涙だらけの情けない姿がTVに出たら
シャレにならんと、僕はその場から逃げようとした。

その時だ。隣にいたおばちゃんが涙で苦しむ僕の顔を見て
「ちょっと・・あなた大丈夫・・・?」

「ねぇ!! この子、被害者よーっ!!! 助けてあげてぇぇっ!!」

うわ。ばか。

僕の手をとり、報道陣の中に無理矢理連れて行こうとする。
振り返る大勢のリポーターとカメラ。
そして野次馬たち。
逃げ遅れた僕は大袈裟に担架に担ぎ込まれ
大量のフラッシュを浴びた。


「TVに映り出されていたのは僕じゃない。」って
次の日に嘘付いた友達ごめんなさい。
あれ、僕です。
なんか・・・見事に巻き込まれたのが恥ずかしくて。

その後、救急車内で治療、刑事さん3人に
トンカツをご馳走になりながら事情聴衆。
アパートに戻ると37件という留守電の数。
当時は携帯なんてなかったからなー。

その事件は「横浜駅異臭事件」として名付けられ
1995年の春、僕の壮絶な都会生活がスタートした。

僕の人生のギリギリ事件簿としてここに記録。
なんだか いつも春って凶や。

at 23:47, 上除マナヴ, トレンディー時代のはなし

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恋のパンチドランカーのはなし

今、90年代歌謡曲の有線を聞いていた。
あぁ甦る青春時代。

恋愛全戦績 7戦4勝2敗1分

結婚して恋愛タイトルを返上するまで
僕は過去、数々のファイターと戦ったんだ。
19歳で壮絶なKO負けを味わい、その後2年間、
公式試合以外でスパーリング夢射修行した事もあった。
・・・あぁ、かませ犬もいたさ。

今まで戦ったあの人たちは今頃どうしているのだろう。
まだ現役ファイターもいるのだろうか。
あのリングで戦っているのだろうか。


別れる直前に一緒にカラオケにいって
彼女に「友達でいいから」を遠回しに2回連続歌われた時は
さすがに恋愛複雑骨折した。
それに気が付かないフリをしてブンブン
愛のジャブを繰り出していたら
カウンターを喰らって泡吹いた19歳のG.W。
まさにあいつは「恋愛十段の女」と言われるに等しいファイターだった。
初めて女性に対して怒りを覚えた試合だったが
今思えば、なかなか良い作品に仕上がったと思う。

結婚しても、ルールの違う試合がまた待っている。
僕にはこっちのリングの方が合っているらしい。
大丈夫さ。リングが金網に変わっただけだ。

恋のパンチドランカー
ナカムラマナヴ 現在30歳。





夜中にひとり、俺は何を書いているんだろう。
こんなブログ、ただの大人の悪ふざけだ。

at 04:05, 上除マナヴ, トレンディー時代のはなし

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貧乏だった頃のはなし

18、19歳の頃、当時横浜で独り暮らしをしていた。
夜中に学校の課題をしなくてはならない為、
バイトも出来ず、相当な貧乏暮らしをしていた。
親から最小限の仕送りをしてもらってはいたが
親に頭をさげて上京したため、無理を言えなかった。

高校3年の春、「父さん! 俺、東京でデザイナーになりたいんだ!」
夜が更けるまで何度も親に頭を下げて誠意を見せた。

本当は、当時付き合っていた1つ年上の彼女が
高校を卒業して神奈川の看護の学校に通っていて
卒業したら、なるべく近くの学校に行きたかったからだ。
父さん・・・僕、最低なんです。
そして念願の学校の試験に受かり、彼女に合格を報告した途端
別れを告げられた高3の春。
「風邪がうつるといけないからキスはしないでおこう。」って言ってた。
ミスターのマニュアルだ。

1年後上京した。
思い描いたハレンチMY LIFE。ホンキートンキークレイジーLOVE。
織田裕二が住んでいそうな暗い部屋と熱帯魚。
手作りパスタの上に無駄に乗った おしゃれパセリ。

なんにもねえ。

待っていたのは過酷な貧乏生活。
月末にもなると100円のパンを買おうかコーヒーを買おうか
ローソンで30分迷ったもんだ。最後はパン粉を食べていた。
そのまま食べたり、揚げてトンカツソースかけて
トンカツなんだこれは。と自分に言い聞かせた。
挙げ句の果てには同じクラスのナチュラル・ボーン・ブスに
昨日のおかずの残り物をいただいてた。
朦朧として、ブスがゼウスに見えた瞬間が2回あった。

貧乏生活も慣れた頃、親友のヤスヒロ氏が上京した。
まだ家が決まっていなかったので家と職が決まるまで
横浜の僕のアパートでしばらく同居することになった。
彼は当時、僕の部屋を荒らす傾向にあったので
彼の服などの所有物を収納する為の段ボールを作ってあげた。
手書きの表札と窓が描かれた陳腐な段ボールだ。
彼は黙ってそれを使っていた。

お互い貧乏だったが、たまには豪華にいこう。ということで
夕食は“大盛りレトルトカレーに生卵のせ”にしようという事になった。
なんて豪華なメニューだ。
段ボールのテーブルの上には待ちに待った
大盛りカレーライスが乗っている。
あとは生卵を乗せて完成だ。二人は唾を飲み込み卵を割った。
ところが、ライスを大盛りにし過ぎて、「ツルんっ」と
生卵はカレーから逃げるように落ちて行く・・・
「あっ!うあぁぁ!!! あぁぁぁ!!!」
焦った僕らは慌てて生卵を救おうとした。

・・・・・・・

段ボールのテーブルごとカレーがひっくり返りやがった・・・。
カレーは天に舞って、儚く床に散った。僕らにはスローモーションに見えた。
二人は床を拭きながら、ただ笑っていた。

ゼウスよ。 そんなに僕らをイジメないでくれ。

数日後、ヤスヒロ氏の住む場所と職が決まり、
彼はアパートを出て行った。
手書きの表札と窓が描かれた陳腐な段ボールを抱えながら
東横線に乗り込んだ。
当然、変な目で見られただろう。


そうさ、神様は、試練を乗り越えられる人にしか試練を与えないんだ。
飯が食えない貧乏時代。

あぁ・・・あの頃があって良かった。

心からそう思わない・・・・。

やっぱり金だよね。

at 00:53, 上除マナヴ, トレンディー時代のはなし

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